第236話 福沢諭吉のあの言葉

慶応の生徒は福沢諭吉を先生と呼ぶらしい。
かじです。こんにちわ。

 

みなさんは、福沢諭吉の
「天は人の上に人をつくらず・・・」
という言葉を知っていると思います。

これの意味は知っていますか?
『人はみな平等だ』という意味だと思っていませんか?

だとすると、50点というところだと思います。
福沢諭吉の『学問のすすめ』から抜粋します。

「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言えり。
・・・・・中略・・・・・
されども今、広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、その有様雲とどろとの相違あるに似たるはなんぞや。
・・・・・中略・・・・・

されば賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとによりてできるものなり。
・・・・・中略・・・・・
医者、学者、政府の役人、または大なる商売をする町人、あまたの奉公人を召し使う大百姓などは、身分重くして貴き者と言うべし。

 

・・・だそうです。

そもそも、人間が平等だというのはアメリカの”独立宣言”から引用されているもので、福沢はこれを引用し、自分の意見を言っているということです。

福沢は、『身分の上下は勉強するか、勉強していないかによるもので、天から授かったものではない。
だからみんな勉強しなさい。』
と言っているんだと思います。だから「学問のすすめ」なのでしょう。
社会に上下があることを否定しているのではなく、能力主義であるべきだという事なのでしょう。
(学問は広い意味での学問であり、学校の勉強だけではない)

 

エライ人たちの言葉って、ほんの一言の名言みたいに出回っていますが、実際はもっとシビアなものが多くて、私たちが勘違いしていることが多いようです。

 

 

『学問のすすめ』は青空文庫で読めます。
そんなに長くないので暇な時にどうぞ。

 

 

 

 

終わり良し。

 

管理者の他のブログから転載
http://selmo-higashirinkan.net/edu-log/

 

第231話 百人一首

いろいろ大変です。
かじです、こんにちわ。

小倉百人一首は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活動した公家・藤原定家が選んだとされる私撰和歌集である。
定家は、飛鳥時代の天智天皇から鎌倉時代の順徳院まで、100人の歌人の優れた和歌を一首ずつ選び、年代順に色紙にしたためた。
後に、定家が小倉山で編纂したという由来から、「小倉百人一首」という通称が定着した。

【百人一首の歌織物説】
隣りに来る歌どうしが上下左右に何らかの共通語(合わせ言葉)をふくみ合う形で結び合わされ、たて十首、よこ十首の枠内に並べることが出来ます。
定家は全知を駆使してこの条件に合う歌百首を集めたらしいのです。
百人一首は名歌を集めた訳ではなく、何らかの意図があって集められたと言う事です。

【水無瀬絵図】
この百首の歌を並べた歌織物の右七列分は、自然の景色を読みこんだものと考えられます。
その中の合わせ言葉や歌詞を絵に置き換えていくと、新古今のふるさと水無瀬の里が浮かび上がります。
水無瀬は京都の西南、長岡京の南に位置し都にほど近い景勝の地で後鳥羽上皇が水無瀬離宮を建てた地でもあります。

定家は引き立ててもらった恩人としての後鳥羽院を思って作ったと思われます。

歌で出来たジグソーパズル、すごいですね。

終わり良し

参考:林直道著『百人一首の秘密』

第215話 大久保利通

『子孫のために美田を買わず-西郷隆盛』だそうですよ。
かじです、こんにちわ。

大久保利通
中学校を卒業した人ならご存じのはずですね。
幕末の志士です。

どんな事をしたかはご存じだと思うので割愛いたします。

政治家の鑑みたいな人で、仕事熱心だったようですね。
それでいて子煩悩で家族を大切にしていたそうです。

洋服を着て洋館を建て、生活も当時としてはめずらしく洋風だったんですね。

金銭には潔白で私財をなすことをせず、必要だが予算のつかなかった公共事業に私財を投じ、国の借金を個人で埋めていたために死後は8,000円もの借金が残った。
ただし残った借財の返済を遺族に求める債権者はいなかった。
政府は協議の結果、大久保が生前に鹿児島県庁に学校費として寄付した8,000円を回収し、さらに8,000円の募金を集めてこの1万6,000円で遺族を養うことにした。
(8000円はおそらく今の時代で言えば2億円ぐらいでしょうか。)

西南戦争で西郷隆盛が死んだ時はとても悲しんだそうで、西郷隆盛からの手紙を自身が暗殺されるまでずっと内ポケットに入れていたそうです。
征韓論で対立していても親友ということに変わりなかったんですね。

死後に借金が残りましたが、債務が遺族に残らなかったようなのでよかったですよね。
子孫は海外留学など存分に教育がほどこされ、後に侯爵になったりしていますし。
そういう家系はそういう家系と婚姻を結びますし、まあ子孫が麻生太郎だったりしていますし。

微妙な終わり方。

しかし終わり良し。

第212話 大小

無理無理。
かじです、こんにちわ。

武士は刀を二本差していますよね。
大小、いわゆる打刀と脇差です。

何で二本も差すんでしょうか。

諸説あり。

やっぱり大をメインに使って小は予備で持っていたのでしょう。
大小を差すようになったのは室町時代ぐらいからで、徒歩による集団戦からなっているように思います。
今も昔も刀は高価なものですから、やはり余裕がある武士じゃないと一本だけとかもありえるのではないでしょうか。
戦争になったら槍とかも使わなきゃいけませんしね。

戦争になると農民も徴発されるので農民も刀持っていたんでしょうね。
実際、秀吉による刀狩り後も多くの刀などの武器が農家にも残っていたそうです。
たしか私の親の実家にも刀がありました。

しかし左腰に一キロ以上あるものを二本も差すってすごい重いですよね。
一本で精一杯。

終わり良し。

 

第211話 山岡 鉄舟

難しい年頃はいつなんだろう。
かじです、こんにちわ。

『山岡 鉄舟』
一刀正傳無刀流(いっとうしょうでんむとうりゅう)の創始者です。
文武両道の人だったようで、政治でも高く評価されているようです。
今でも一刀正傳無刀流は現存していますし、山岡鉄舟研究会みたいなのがあります。

詳しい事は他のサイトに譲るとして、幕末には将軍の下で、明治では天皇の下で、それぞれ側近として働いていたそうです。
忠臣であり、剛直な人だったみたいですね。

人物はこれぐらいにして、
その鉄舟さん、一刀正傳無刀流で十二ヵ条目録というのを挙げていました。

一、二之目付(にのめつけ)之事
切先(きっさき)に目をつけ、拳に目を付く、これ二つなり
二、切落(きりおとし)之事
石火の位とも、間に髪を容れずともいう処なり
三、遠近之事
敵の為に打つ間遠くなり、自分これが為に近くなれという事なり
四、横竪上下之事(よこたてじょうげのこと)
横竪上下とは、真ん中の処なり
五、色付之事(いろつきのこと)
相手の色に付くなという事なり
六、目心之事(もくしんのこと)
目で見るな、心で見よという事なり
七、狐疑心之事(きつねぎしんのこと)
疑心を起こすなという事なり
八、松風之事
合気をはずせという事なり
九、地形之事
順地逆地の事なり
十、無他心通之事(むたしんつうのこと)
他に心を通ぜず、己れ修し得たる業だけを以て敵にあたれとの事なり
十一、間之事
当流一足一刀と教えり
十二、残心之事
心残さねば残るという理もあり。もどるの心なり。たとへば茶碗に水を汲み、速やかにすて、また中を見ればそく一滴の水あり。これすみやかに捨てるゆえにもどる。是をもって、おしまずすたること当流の要とす。

「一よりおこりて十二に終る、而してまたもとの一にかへりて、つくることなし、またもとの初心にかへり、またもとにかへり、無量にして極りなき心に至る」

鉄舟47歳で書いたそうです。

剣禅一致。

終わり良し

 

第146話 庚申塔

めげません。
かじです、こんにちわ。

庚申塔(こうしんとう)というのをご存じでしょうか。
おそらく見たことはあると思います。

見た目は道祖神などの石像で、字が書いてあったり猿だったりとさまざまです。

koushin
三猿の上に青面金剛っぽいです

庚申塔とは、庚申信仰からくるもので、Wikiによると庚申信仰(こうしんしんこう)とは、中国道教の説く「三尸説(さんしせつ)」をもとに、仏教、特に密教・神道・修験道・呪術的な医学や、日本の民間のさまざまな信仰や習俗などが複雑に絡み合った俗信仰だといえるようです。
教祖、教義、経典などが無いのでまったく得体のしれないもののように思います。

詳しく記載するときりがないんですが、庚申(かのえさる、こうしん)とは、干支の一つでいわゆる猿です。
ですので、「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿や神道の猿田彦神が庚申塔として彫られることが多いです。
その他、かなりいろんな神仏が庚申塔として彫られていますが、青面金剛が主尊とされているらしく上記の猿と猿田彦・青面金剛が3本柱だと思います。
あとは文字だけや天然石だけとかもあるようです。
なぜ青面金剛なのかは良く分からないらしいです。諸説あるようですが決定打は無いんじゃないでしょうか。
誰か詳しい人います?

ちなみに青面金剛は仏教世界では『天』の部類です。

この庚申塔、日本の庚申信仰の起源は平安時代ぐらいからですが、江戸時代に相模国を中心に流行ったらしく、ほど近い町田周辺も多くの庚申塔が残されています。

かなり地域密着型なので造りは粗末になってきて儀式なども結構緩かったといいますか、まあ、あれなようです。
時代の変遷にともない、草むらに埋もれていたり盗難にあったり区画整理で移動(単に退かした?)されたりしています。

大きさが手ごろな野外の石仏は多く盗難に遭います。
しかし現代でもきちんと復建されることもあります。
地域に根付いた信仰が残るギリギリの世代なのではないでしょうか。

私は信仰心など全くもってありませんが、昔から多くの人が祈ったその祈りを大事にしたいと思います。

 

第145話 小野神社の梵鐘?

「ペンは剣より強し」って、正義を疑わず血を流して戦うことよりも、言論の自由で守られた誹謗中傷・偏った報道による言葉の暴力の方が強いってことですよね?○日新聞さん?

町田は鎌倉街道が通っていますが、鎌倉街道にまつわる話は戦の話が多いです。
(鎌倉に通じている道は大体鎌倉街道ってことになってます)
井手の沢の戦いという新田義貞と北条軍が衝突した戦いがありました。今の天満宮あたりだそうです。
成瀬にはその際に新田義貞が馬を休め鞍を掛けたという『鞍掛けの松』という伝承があり、今は再現されています。

逗子に海宝院という名の寺があり、ここに古い梵鐘が現存しています。
「武蔵国小山田保小野路県小野大明神宮鐘」
という文字が記載されているそうです。
これは町田市小野路町にある小野神社にあった鐘のようで、「文明」の時代(応仁の乱の最中だと思います)に戦の合図に使うために鎌倉まで持ってきたそうです。
その後の時代に徳川家康が入手し、家臣に与えられ、その家臣が海宝院を建立したということです。

小野神社ではこの鐘は時刻を知らせるために使われていたそうです。
この鐘、梵鐘というのかどうかわかりませんが、奇妙なつながりがあるもんですね。

調べものに時間がかかりました。
日々更新って難しいですね。

 

第144話 建国記念の日

雪月花
かじです、こんにちわ。

今日は建国記念の日です。
初代天皇・神武天皇が即位した日とされています。

大学受験の時に、友人にテストしたことがあって初代天皇は誰か?と聞いたら
「欽明天皇」
と、とある塾講師が暗記に使っている最初の天皇の名前を言ったのを覚えてます。
大学受験を目前として、厳しい状況だということを彼は悟りました。

神武天皇は熊野の八咫烏に先導されて東を征服していきました。
まだ日本は統一されていなかったんですね。
この人、127歳まで生きたそうです。(諸説あり)

あまり興味が無いのと、議論がある人なので詳しくは述べないようにしておきます。

奈良県にある橿原(かしはら)神宮というのが神武天皇陵として伝承されています。
皇居がここにあったらしいです。

なんだか祝日にするには弱い気もしますが、休みというのはいいですね。

今日の雪、子供は喜び、大人は静まり。
雪の美しさは犠牲の上にあります。

 

第133話 平家物語

クリスマスイブ、暇な人たちに贈ります。
かじです、こんにちわ。

みなさん中学、高校と国語の授業で平家物語を勉強したと思います。
たぶん
「扇の的」

「敦盛最期」
ではないでしょうか。

大体の内容はみなさんも覚えていると思います。

また読み返してみたのですが、これって中学、高校でやってもちゃんとわかるんだろうかと思いました。
分からない単語が多すぎて、平家物語のリズム感や臨場感が伝わらないんじゃないかと。

そうこう難しく考えてましたが、それはそれでいいんじゃないのかと思い直してみたり。

「あぶみをならべて・・・」
⇒どんな風景なのか?あぶみってなにか?
「鎧直垂をといてみければ・・」
⇒直垂ってなにか?
「鎧の袖をぞ濡らされける」
⇒軍記物語の常套句

こういうのが分かると古典も面白くなってきます。

日本人が必ず学ぶ平家物語、深く読めば日本人の本質が分かる気がします。

 

第131話 セキュリティ

師走とは言ったもんです。
かじです、こんにちわ。

近年、セキュリティに関して非常に意識が高まってきてると思います。
カードキーなんてのは随分前から出来てたし、指紋認証、静脈認証なんてのもありますよね。

昔の人ってどうしてたんでしょう。

意外に鍵の技術は日本も結構なものがありました。
文化は大体中国大陸から渡ってきてますが、唐の時代に『海老錠』というのが伝来したのがきっかけっぽいです。
遣唐使ってのは偉大ですね。えらい。

そこから江戸時代になって平和になったころから刀鍛冶などが鍵を作るようになったようです。

鍵の作成が盛んになったころから『からくり錠』というのが出てきたらしく、日本の錠前師の技術が凄い事になってたみたいです。
(例により、詳細はGoogle兄さんに聞いてください)
なんでも、普通に鍵穴に鍵が入らないとか、下手にいじると空砲がなったりと凄いらしいです。

しかし、多くはつっかえ棒(しんばり棒)であったり、お金がある人は「門番」だったり、そもそも鍵なんて無いなんてのもあったようです。
盗まれるようなものなんて、庶民には無かったのかもしれませんね。

年の瀬近づいてます。ラストスパートです。