第212話 大小

無理無理。
かじです、こんにちわ。

武士は刀を二本差していますよね。
大小、いわゆる打刀と脇差です。

何で二本も差すんでしょうか。

諸説あり。

やっぱり大をメインに使って小は予備で持っていたのでしょう。
大小を差すようになったのは室町時代ぐらいからで、徒歩による集団戦からなっているように思います。
今も昔も刀は高価なものですから、やはり余裕がある武士じゃないと一本だけとかもありえるのではないでしょうか。
戦争になったら槍とかも使わなきゃいけませんしね。

戦争になると農民も徴発されるので農民も刀持っていたんでしょうね。
実際、秀吉による刀狩り後も多くの刀などの武器が農家にも残っていたそうです。
たしか私の親の実家にも刀がありました。

しかし左腰に一キロ以上あるものを二本も差すってすごい重いですよね。
一本で精一杯。

終わり良し。

 

第211話 山岡 鉄舟

難しい年頃はいつなんだろう。
かじです、こんにちわ。

『山岡 鉄舟』
一刀正傳無刀流(いっとうしょうでんむとうりゅう)の創始者です。
文武両道の人だったようで、政治でも高く評価されているようです。
今でも一刀正傳無刀流は現存していますし、山岡鉄舟研究会みたいなのがあります。

詳しい事は他のサイトに譲るとして、幕末には将軍の下で、明治では天皇の下で、それぞれ側近として働いていたそうです。
忠臣であり、剛直な人だったみたいですね。

人物はこれぐらいにして、
その鉄舟さん、一刀正傳無刀流で十二ヵ条目録というのを挙げていました。

一、二之目付(にのめつけ)之事
切先(きっさき)に目をつけ、拳に目を付く、これ二つなり
二、切落(きりおとし)之事
石火の位とも、間に髪を容れずともいう処なり
三、遠近之事
敵の為に打つ間遠くなり、自分これが為に近くなれという事なり
四、横竪上下之事(よこたてじょうげのこと)
横竪上下とは、真ん中の処なり
五、色付之事(いろつきのこと)
相手の色に付くなという事なり
六、目心之事(もくしんのこと)
目で見るな、心で見よという事なり
七、狐疑心之事(きつねぎしんのこと)
疑心を起こすなという事なり
八、松風之事
合気をはずせという事なり
九、地形之事
順地逆地の事なり
十、無他心通之事(むたしんつうのこと)
他に心を通ぜず、己れ修し得たる業だけを以て敵にあたれとの事なり
十一、間之事
当流一足一刀と教えり
十二、残心之事
心残さねば残るという理もあり。もどるの心なり。たとへば茶碗に水を汲み、速やかにすて、また中を見ればそく一滴の水あり。これすみやかに捨てるゆえにもどる。是をもって、おしまずすたること当流の要とす。

「一よりおこりて十二に終る、而してまたもとの一にかへりて、つくることなし、またもとの初心にかへり、またもとにかへり、無量にして極りなき心に至る」

鉄舟47歳で書いたそうです。

剣禅一致。

終わり良し

 

第210話 復活コラムから二年

『任せる。俺がケツ持つ。』
かじです、こんにちわ。

コラムの復活から二年、早いものです。

事あるごとに過去を振り返るのですが、過去も今もネタを考えるのに苦労していることに変わりはありません。

この一年間は『自由に書く』事を念頭にコラムを書いてきました。
昔のことや武道の事にとらわれず、私が書きたい事を書きたいように書く。

一つの壁を乗り越えた感は感じるものの、あまり楽にはなりませんね。

何かが始まって続いて行くと年輪を重ねるわけでして、いろいろな年輪から時間という物を感じさせられます。

年輪を見つめる中で変わらない物に目を遣ると、自分がいったい成長しているのか、成長していないのかを考えさせられます。

自分がいったいどこへ行きたいのか、どこを通って行かなければいけないのか。

気の向くままに旅をする事は、傍から見るとうらやましく思えるけど、実際は思っているより得る物が少ないものなのかもしれない。
結局は自分が何をしたいのかを探す旅になっているのかもしれない。

何をしたいのかが分からなければ、やっぱり旅を続けなければいけないか。。。。

地図を書くために旅に出る。

私、まだまだ不惑には程遠いもので。

終わり良し?

 

第209話 諱・諡・字

この想いをどうすればいいのか。
かじです、こんにちわ。

本日のお題、読めましたでしょうか。

諱:いみな
諡:おくりな
字:あざな

【諱:いみな】
本名・名前のことです。
吉田松陰だと、諱は矩方ですので現代では吉田矩方と呼ぶことになります。松陰は号です。

中国や日本では、諱で呼びかけることは親や主君などのみに許され、それ以外の人が諱で呼びかけることは極めて無礼であると考えられていたようです。
これはある人物の本名はその人物の霊的な人格と強く結びついたものであり、その諱を口にするとその霊的人格を支配することができると考えられたためだそうです。
このような慣習は「実名敬避俗」と呼ばれ、世界各地で行われていました。

【諡:おくりな】諡号:しごう
主に帝王・相国などの貴人の死後に奉る、生前の事績への評価に基づく名のこと。
劉邦だと姓が劉、諱が邦、字が季、諡号が高皇帝となります。
日本でも天皇には諡号が付いています。時代と共に使われ方は変遷していて、現在は元号をもって諡号、いわゆる追号としています。

死んだあとに付けますので、戒名みたいなもんですね。

【字:あざな】
あだ名でしょうね。
今のそれとは多少異なり、成人すると付けられるもので、通常はこちらの名前で人から呼ばれたようです。

諸葛孔明だと諱が亮、字が孔明となります。

細かい話はさておき、昔は呼び方だけでもいろいろあって形式が複雑みたいですね。
しかし、これは偉い人たちのことなので、一般人はどうだったんでしょうか。
姓なんてものは持っていなかったですし。

ここでのペンネームは『かじ』なので、号は『かじ』でいきましょうかね。

終わり良し