第186話 兵法家伝書 無刀

引くも兵法。
かじです、こんにちわ。

無刀取り
賢明なみなさんは真剣白刃取りとは違う事はお分かりだと思います。

人の刀を取る事でも無く

人の刀を取って見せる芸でもなく

人が刀を持った時に自分は素手で対応することを言う。
要は切られない間合いをとらえて相手に切られないようにするものらしいです。

水戸黄門の助さん角さんの戦ってる感じなのかなぁと思ったりしています。

Google先生に真剣白刃取りを聞いてみると胡散臭そうなものばっかり出て来ました。
参考にしないほうがいいと思いますよ。

我が刀なき時、人にきられじとの無刀也。

終わり良し

 

第185話 不動智神妙録

喉元過ぎた。
かじです、こんにちわ。

今回も長いと読んでくれなさそうなので適当に短くします。

不動智神妙録(ふどうちしんみょうろく)

沢庵(たくあん:たくあん漬けのたくあんです)という禅僧が書いた書物で、剣法と心について書かれています。
題名にあるように、不動心ってやつです。

徳川将軍家の剣術師範・柳生宗矩に渡されました。

石や木の様な不動ではなく、動きながらも何物にもとらわれない心を不動智というらしいです。

誰かに呼ばれて振り返るとき、「呼んだのは誰だろう?」とか考えていると、その隙に打たれる。
とっさに応えるだけで何も考えない方が心をどこにも置かずいつでも対応できる。
上手にやろうとしてやるのではなく、何の心に止まるでもなく独りでになっている状態が最高である。

らしいです。

”心こそ 心迷わす 心なれ 心に心 心ゆるすな”

何やら手の内の自然に握るに似ている気がします。

「平常心をもって一切のことをなす人、是を名人と云ふ也」兵法家伝書

柳生新陰流も学ぶところが多いですね。

終わり良し

 

第184話 手の内

冬は暖かいのか寒いのか。
かじです、こんにちわ。

今回は手の内についてです。
永遠のテーマの一つですね。

伝曰く、基本は自然に握る事としてあり、箸を使うのと同じように自然の体の動きと同じであるとあります。
具体的には左右の指が中指から小指に次第に力が締まるとあります。

そうすると
・拳は内に入り
・肘は伸び(張らない)
・肩の力を抜く

という事になります。

初心者から必ず心がけなければならないと注意されています。

手の内にも時と場合があり、その事についても書かれています。

締めるときと緩めるときについてです。

○締めるとき
打ち下ろす時
受け止めるとき

○緩めるとき
構えた時
受け止めた後

いつでも締めつけてはならないと注意されています。

【実際の手の内(柄の握り方)について】
○右手の動作
縁金より下に持つ
人差し指は鍔に触れる

○左手の動作
右手の指2,3本分下を握る
右手より強く締める

○両手同様の動作
両手首を軽く内側に寄せる
柄を上から親指と手のひらで挟むように握る
親指は中指の内側を軽く押す
小指、薬指をやや締める
両手は斜めに柄を握る
人差し指は伸ばさず軽く曲げる

何年やっても右手に力が入ってしまう事ってありますよね。
いつぞやの先生が、審査の前に
「左手、左手」って思って演武するって言っていました。

もっと細かく書かれているけど、長くなると読んでくれないのでこの辺で。

「右をさき 左をあとにやんわりと 手拭しぼる心にて 持て」(伝書)

終わり良し

 

第183話 座居合

大事な日の前日に携帯電話で目覚ましをかけたのにマナーモードで寝坊した。
かじです、こんにちわ。

また田宮流伝書を読んだことでも書いて行こうと思います。

居合はなぜ座っている技があるのでしょうか。
刀を腰に差して座ることがあるのだろうかと単純に疑問に思います。
江戸時代でも刀を差して正座するようなことは無かったはずです。

伝曰く
「人情の本末を分けて座するを本とし立つを末とす。」
とあります。
立って刀を抜けば、誰でもそこそこ自由に使えますが、座って刀を使うのは難しい。
座って刀を自由に使う事ができれば立って刀を使うのも自由になる。
なので座って居合を抜くのは稽古の為であるということです。

田宮流は座ばっかりなので稽古は疲れます。
座をやらなきゃ上手くならないってことですかね。

極意とは表の内にあるものを 心盡しに奥な尋ねそ(伝書)

終わり良し