第176話 防犯

良くなったのか悪くなったのか。
かじです、こんにちわ。

防犯とは犯罪を未然に防ぐ事ですよね。
防犯対策と聞くと、実際に起きた犯罪に対して防ごうとするってイメージだと思います。

防犯対策って思いだしてもたくさんありますよね。

とある事件から一時期は防犯対策で公園の低い木とかは見通せるように更に低く刈り込まれてましたが、喉元過ぎれば今はまた元の長さまで伸び放題。
世論を抑えるための防犯といえるのではないでしょうか。

塾の生徒の文化祭がありまして、見に行こうと思って学校に問い合わせました。
「防犯上の都合で保護者の方しか入れません」
とのことでした。
まあ、ごもっとも。

こんな世の中に誰がしたのでしょう。
もともとこんな世の中なのか、防犯が究極になれば犯罪が無くなるのでしょうか。

仕方のない事なんですけど、淋しさは拭えませんね。

警察の防犯標語というのがありました。(子供向け)

いかのおすし
「(イカ)行かない」「(の)乗らない」「(お)大声を出す」「(す)直ぐに逃げる」「(し)知らせる」
だそうです。

昔から言われていますけど、なかなか出来ないですよね。
大声で叫んでも誰も助けてくれなそうですし、逃げられるのかどうか。

「知らせる」というのも、大人でも知らせないですからね。
意味は違うかもしれませんが、知らせれば助かった命もたくさんありましたよね。

『警察に知らせようかと思ったけど・・・・』なんてのは良く聞きます。
いろんな事情があるんでしょうけど。

なにかで聞いた事があります。
『撃たれる前に撃て』

終わり良し

 

第175話 志を奪うべからざる

髭剃るの忘れました。
かじです、こんにちわ。

「猫之妙術」 という武術の文書があります。
詳解田宮流でも一部が紹介されています。
コラムは長いと読んでくれなさそうなので、さらに手短に解説しますね。

あらすじは主人公の家のネズミを捕まえようとしたけどなかなか捕まえられず、老いた猫が簡単に捕まえてしまった。
その事から主人公が老いた猫に教えを請うという物語です。
教えを請いているんで、この猫しゃべります。

古猫の教えは
「所作を学ぶのは道筋を分かるためであって、所作のみにこだわっていては技量が優れている者に負ける。
工夫して気力を養わなければならない。」
ということです。

ものすごい端折りましたが主旨はこんなところだと思います。
大変参考になる文書で、結構おもしろい話ですので一度読んでみてください。
(古文体で結構長いです。)

心に迷いなく波一つない状態になれば敵も味方もなく一体となる。
敵味方などの区別は自分の心が作り出すもの。
『詳解田宮流』

三軍も帥を奪うべきなり匹夫も志を奪うべからざるなり「論語」
(まとまっていない大軍は、その総大将を討ち取ることができるが、たとえ身分の低い男でも、意志が堅ければ、その志を変えさせることはできない。)

今回は古文が多かったですね。

匹夫って私の事ですか??
大した志無いんですけどね。

終わり良し

 

第174話 木鶏に似たり

意気消沈
かじです、こんにちわ。

荘子(道教の思想家)の書いた文献のなかに有名な一節があります。

「鶏鳴者有と雖ども、已に変ずること無し。
之を望に木鶏に似たり。
其徳全し。異鶏敢て応ずる者無く、反りて走る、と。 」

もう少し話は長いのですが、終わりのところだけ紹介しました。
興味がある方はネットで検索してみてください。

要するに、強い鶏は敵に対して動じない。何もしなくても敵は逃げてしまう。ということです。

敵に相対するときに心を動かさないという境地を示すものです。
こうなるように修行しましょうってことですね。

故・持田 盛二(剣道範士十段)が以下のように言っていたのを過去のコラムで取り上げています。
「70歳からは身体全体が弱くなるから心を動かさないよう修行した。
心が動かなければ相手の心がこちらの鏡に映ってくる。」

未だ木鶏たりえず。

終わり良し

第173話 コップは空にすべし

昨日の我に勝つ。
かじです、こんにちわ。

稽古における心構えとして、以前に師匠から言われた事があります。

「稽古するときはコップの水と同じでいつも空にしておきなさい。
水が満たされていたら何も入れられない。」

14代宗家が言っていたそうです。

居合にはうぬぼれる要素があるそうです。
仮想的なので、自分で敵を切ったと思えばそれで納得してしまうと。

居合は敵を自分自身に置き換えて邪念を断ち切る活人剣でなくてはならないと言っています。

居合の稽古における心構えをいくつかあげられていたので列挙します。
・自分の欠点は自分では気づき難いので先輩・先生に見てもらう
一人だと辛いです、はい。
・流派の違いを越えて謙虚に学ぶ
昔は他流試合などを禁じられていて門外不出だったので、今はありがたいですね。
・学ぶ機会を積極的に作る
・啐啄同時
教える者、教わる者の気持ちが一つになるということです。

だいたいこんなところでした。

「切るに手で切るな腰で切れ、腰で切るな心で切れ」故・山本晴介 範士九段

終わり良し

 

第172話 剣と禅2

ここは幹事との対話の場所。
かじです、こんにちわ。

コラムで以前、島田虎之助をご紹介しましたが、その剣と禅です。
(第37話参照)

剣と禅は一如であり居合は武道の禅学である

前回コラムでも書いた精神修行の続きです。

「居合とて居てつかふにも定まるまじ、行住坐臥に心がくべし」(田宮流伝書)
行住坐臥:いつでも、常に。(歩く、立つ、座る、横たわるの四意)

禅の「行住坐臥」は静の剣
居合の「行住坐臥」は動の剣
とも書いてあります。(詳解田宮流)

居合は応じ技ですので、常に相手の出方、襲い方を想定し、また即座に応じなければなりません。
居合そのもののあり方といえます。

居合の究極は、抜かずに相手を制することにありますので、人間的な成長に努めなければなりません。

ちょっと目標が遠いですね。

居合の道を深く問うべし・・・・・田宮流伝書

終わり良し

 

第171話 居合わせる

人間間違うこともある。
かじです、こんにちわ。

居合という言葉、恥ずかしながらはっきりと理解していませんでした。
そろそろ初心者とは言えないんですけどね。

改めて田宮流の教本を読んでみたので、これからちょくちょくコラムに書いて行こうかと。
(ネタも思い浮かばないですしね)

行き詰ったら何度でも基本に帰る。ということで『居合』という言葉から。

居合とは、要約すると『居座ったまま敵に対応する術』と書いてあります。

危機に臨んで臨機応変に対応する。それに伴う体と心の動きを練磨すること。ともありました。
ですので単に敵を切ることを練習するのではなく、精神修行を伴うのだということです。

『居』・・・態勢。場所や時間などの状況

『合』・・・臨機応変に合わせる当意即如の働き

と詳細田宮流に書いてあります。(要約・変更あり)
なので心のあり方を強く言っているのだそうです。

敵の殺意を感じたり、敵が切りかかって来て初めて対応する居合という術は、自分が切られてしまうほんの一瞬の間にどう対応するかを考えて実際に行動しなくてはいけません。

そう考えると、自分の普段の稽古は生ぬるいなぁと思ったり。

今日はここまで。次回につづく。

終わり良し。