第80話 武術心得

若い方が入会してきました。
うれしいことです。今度は話しかけてみよう。
かじです、こんばんわ。

中国の武術の言葉で以下のようなのがあります。

1.「動如波」・・・活発に動く場合、波がうち寄せるように激しく滞ることのないように
2.「静如岳」・・・制止した動作の場合、安定して山のように堂々とし、その中にも勢いがある
3.「起如猿」・・・飛び上がるときには、機敏で敏捷な猿のように跳躍をする
4.「落如鵲」・・・飛び降りるときには、鵲(かささぎ)が小枝にとまるように軽やかに音もなく着地する
5.「立如鶏」・・・片足で立つ、または急に止まるときには鶏が止まるようにする
6.「站如松」・・・両足で立つときには根を張った松がそびえ立つように力強く立つ
7.「転如輪」・・・回転する動作の時には、車輪が軸を中心にまわるように
8.「折如弓」・・・体を折り曲げるねじるときには、弓を引き絞ったときのように力強いバネのように
9.「軽如葉」・・・軽い動作は、風に舞う葉っぱのように軽やかに鮮やかにおこなう
10.「重如鉄」・・・重い動作は、鉄のかたまりのように重々しく
11.「緩如鷹」・・・ゆるやかな動作は大空を舞う鷹のように悠然と、そして緩やかな中にも闘気あらわす
12.「快如風」・・・素早い動作は風が吹くように素早くおこなう

ちょっと難しいですが面白いと思います。
とある格闘漫画で紹介されてたんですが、有名な言葉です。

居合もおんなじですね。いつも先生が繰り返し言ってます。
相手を倒すのはごくわずかな時間で、一瞬でしとめる。残心などの動作はどっしりと構えて行う。

安定感やしなやかさ、緩急強弱、本当にむずかしいですね。

 

第79話 家紋

前回で家紋のことが出たのでちょっと。
夏休みも終わりです。かじです、こんばんわ。

家紋は日本固有の文化です。
「源平藤橘(げんぺいとうきつ)」と呼ばれる源氏、平氏、藤原氏、橘氏といった強力な氏族が最も名を馳せていた時代、地方に移り住んだ氏族の一部が他の同じ氏族の人間と区別をはかるため土地の名前などを自分の家名(屋号)とし、それが後の名字となったことはコラムでもある通りです。

家紋は家の独自性を示す固有の目印的な紋章として生まれ、名字を表す紋章としての要素があります。

その後、武家や公家が家紋を使用するようになり、血統や元々の帰属勢力としていくつかのグループに大きく分けることができ、それぞれが代表的な家紋とそのバリエーションで構成されます。
その他、各地の豪族がそれぞれ新たに創作した家紋が現代まで伝わっているものもあります。

特別な紋章や場合を除いて、家紋を幾つも所有することは自由であったこともあり、墓地や家具、船舶にまで付けられることもあります。

家紋は刀や甲冑といった武具にも、好んで使用されていました。

しかし家紋の使用に制限はありませんが、他家の家紋を無闇勝手に使用してはそれなりの軋轢や摩擦が生じます。
特に大名や将軍などの、地位の高い家のものとなれば尚のことです。
そのため、他家の定紋は出来るだけ配慮して使わないこととする暗黙の了解があったと思われます。

●定紋・代表紋
源平藤橘や物部、大伴と呼ばれる氏族の権力が全盛期であった頃、何千という名字が生まれ、その後次第に家紋が用いられ始めます。

家紋が生まれて間もない平安時代後期や鎌倉時代は江戸時代の元禄頃とは違い、家紋の種類や形は多くはありません。
そのため、美しく人気のある家紋や描きやすい単純な図案の家紋ほど好まれる傾向にあり、同名字であっても異なる家紋を利用しているケースもあれば、異名字であっても同じ家紋を利用していることがありました。

同じ氏族の中で比較的多く使われている家紋は代表紋(だいひょうもん)、または表紋(おもてもん)といい、その氏族の代表的な家紋として扱われていました。
例えば、藤原氏から分かれた長家や那須といった支流では、一番使用されている家紋の「一文字紋」を代表紋としています。
また、当時の武士の間では同名字でも複数の異なる家紋を使用することが一般的であったため、公式に示すための正式な家紋が必要とされました。

そういった各個人が決まって用いる家紋のことを定紋(じょうもん)または「本紋」や「正紋」といいます。

基本的に、諸大名や将軍家では定紋を嫡子だけにしか継がせなかったため、また時代とともに一家系で持ちうる替紋(後述)の数が増えるに連れて、定紋の権威や価値や必要性は強まっていきました。

●替紋・通紋

家紋の例(花菱紋)前述の通り、幾つもの異なる家紋を用いることが一般的です。
また、家同士での家紋のやりとりが頻繁にあり、家紋を自由に創作することがありました。
そのため、本来の家紋の意味を逸脱した家紋を多く持っている家もありました。
そのため本来の家を示す公式的な家紋である定紋以外の家紋は「替紋(たいもん)」と呼ばれ、また、「裏紋」、「別紋」、「副紋」、「控紋」などということもあります。

江戸時代にはいると、華美で装飾的な家紋は武士に限らず、庶民にも利用されました。
そういった少数の家や個人が独占できなくなった家紋のことを「通紋(つうもん)」と呼びます。
通紋は、例えば「花菱紋」といった一般的に優美な家紋に多いです。

「五三の桐」などはその一般性から、貸衣装の紋として良く使われています。要は誰でも使っていいってことです。

wikiのコピペだね!

 

第78話 油壺

海水浴に行ってきました。
マイナーですが油壺。結構よかったですよ。

討つものも 討たるるものも かわらけよ 砕けて後は もとの土くれ
三浦道寸義同(よしあつ)辞世の句

戦いは無常なものですね。

miurado

従四位下
陸奥守道寸義同公之墓

油壺マリンパーク駐車場裏より胴網海岸へ下りる道を下り、途中右に分かれる道を行くとあります。

今でも花や酒が供えられていて、塔婆も新しく立って居たので誰かが管理しているんでしょう。
塔婆は菩提寺じゃないような気もしましたが、そこまでしらべられませんでした。

三浦道寸は、あの有名な北条早雲によって滅ぼされた三浦半島の豪族です。
北条早雲との戦いで追われた将兵たちは湾へ投身したと伝えられています。そのため、湾一面が血汐で染まり、まるで油を流したようになったので、後世「油壷」といわれるようになったそうです。

横堀海岸と胴網海岸の間あたりに道寸の墓があります。

湘南地帯は鎌倉時代の名残がところどころにあって意外(?)に面白いですよ。
正宗も鎌倉ですね。

ガソリンが高くて遠くへいけません。近場でいいところを探しましょう。
大仏近くのトンネルが片側通行で込んでました。。。

 

第77話 封建時代の生活リズム

毎日仕事ばっかですね。
かじです、こんばんわ。

今、昼休みが45分です。しかも会議があったりするとさらに短くなります。

武士はどうだったんでしょ。
とりあえず封建時代の人たちのリズムを見てみましょう。

1)工・商の生活リズム
・休日
毎月1・15・28日が多い。
その他
同業者・組合で取り決めた定休日や行事にともなう多数の休日
五節句
12月25日から1月9日が正月休み、盆休みは7月11ー20日

・労働時間
08:00-18:00
午前10時と午後2時に30分の休憩
昼休み1時間
4月8日から8月1日は昼休みが1時間延長され2時間。

2)士族の生活リズム
・勤務
「三番勤め」:3日に1度の24時間勤務
その他
学問と武芸の自主的修養・訓練

3)農家
決まった休日はよくわかりませんでしたが、基本的に晴れた日中働いて、暗くなったら仕事は終わりみたいです。
農業の生産性が高くなるにつれて休みが多くなったようです。

何れにしても結構思ってたよりみんな休んでますよね。(武士は)

今の時代はみんな働いてるから同じように働かないと食べていけそうにないですが、全体的にもっと休んでも国家がつぶれるってことは無いような気がしました。

とすると、稽古時間が増やせますね。