鬼丸

 

 

◆鬼丸国綱
鬼丸国綱

刃長:二尺五寸八分(78.2cm)
反り3.2cm

<太平記より抜粋>

そもそも鬼丸と申す太刀は、北条四郎時政天下を執て四海を鎮めし後、長一尺許なる小鬼(しょうき)夜な夜な時政が跡枕に来たつて、夢共なくうつつ共なく侵さんとする事度々也。
修験の行者加持すれども休(や)まず。陰陽寮封ずれども去らず。あまつさへ是故時政病を受て、身心苦む事隙なし。

或夜の夢に、此太刀ひとりの老翁に変じて告て云く、「我常に汝を擁護する故(ゆえ)にかの妖怪の者を退けんとすれば、汚れたる人の手を以て剣を採りたりしに依て、金精(さび)身より出て抜んとすれども叶わず。
早くかの妖怪の者を退けんとならば、清浄ならん人をして我身の金精を拭(のご)ふべし。」と委(くはし)く教へて、老翁は又元の太刀に成ぬとぞ見えたりける。

時政つと(早朝)に起て、老翁の夢に示しつる如く、ある侍に水を浴せて此太刀の金精を拭はせ、いまだ鞘にはささで、臥たる傍の柱にぞ立掛たりける。
冬の事なれば暖気を内に篭んとて火鉢を近く取寄たるに、すえたる台を見れば、銀(しろがね)を以て長一尺許なる小鬼を鋳て、眼には水晶を入れ、歯には金をぞ沈めたる。
時政是を見るに、此間夜な夜な夢に来て我を悩しつる鬼形の者は、さも是に似たりつる者哉と、面影ある心地して守り居たる処に、抜いて立たりつる太刀俄に倒れ懸りて、此火鉢の台なる小鬼の頭をかけず切てぞ落したる。
誠に此鬼や化して人を悩しけん、時政忽ちに心地なほりて、其後よりは鬼形の者夢にもかつて見へざりけり。
さてこそ此太刀を鬼丸と名付て、高時の代に至るまで身を不放守りと成て平氏の嫡家に伝りける。

相摸入道鎌倉の東勝寺にて自害に及ける時、此太刀を相摸入道の次男少名亀寿に家の重宝なればとて取せて、信濃国へ祝部(はふり)を頼みて落ち行く。
建武二年八月に鎌倉の合戦に打負て、諏防三河守を始として宗との大名四十余人大御堂の内に走入、顔の皮をはぎ自害したりし中に此太刀有ければ、定めて相摸次郎時行も此中に腹切てぞ有らんと人皆哀に思合へり。
其時此太刀を取て新田殿に奉る。義貞なのめならず喜びて、「是ぞ聞ゆる平氏の家に伝へたる鬼丸といふ重宝也。」と秘蔵して持れける剣也。
是は奥州宮城郡の府に、三の真国といふ鍜冶、三年精進潔斎して七重にしめを引、きたうたる剣なり。

●太平記に同時に記載のある刀も参考にご紹介します。
◆鬼切

鬼切と申すは、元は清和源氏の先祖摂津守頼光の太刀にてぞ有ける。其昔大和国宇多郡に大森あり。
此陰に夜な夜なばけもの有りて、往来の人を採り喰らひ、牛馬六畜を掴み裂く。
頼光是を聞て、郎等に渡辺源五綱と云ける者に、彼のばけもの討て参れとて、秘蔵の太刀をぞたびたりける。

綱すなはち宇多郡に行き甲胃を帯して、夜な夜なくだんの森の陰にぞ待たりける。
このばけもの綱が勢にや恐たりけん、敢て眼に遮る事なし。
さらば形を替て謀らんと思て、髪を解き乱しておほひ鬘(かつら)をかけ、かね黒に太眉を作り、薄衣を打かづきて女の如くに出立て、朧月夜の明ぼのに、森の下をぞ通りける。
にはかに空掻曇りて、森の上に物の立ち翔る様に見へけるが、虚空より綱が髪を掴で中に提てぞ挙たりける。
綱、頼光の許より賜りたる太刀を抜いて、虚空を払ひ斬にぞ切つたりける。
雲の上に唖といふ声して、血のさつと顔に懸りけるが、毛の黒く生たる手の、指三つ有て爪のかがまりたるを、二の腕よりかけず切てぞ落しける。
綱此手を取て頼光に奉る。頼光是を秘して、朱の唐櫃に収て置れける後、夜々をそろしき夢を見給ける間、占夢の博士に夢を問給ければ、七日が間の重き御慎とぞ占ひ申ける。
依之堅門戸を閉て、七重に七五三を引四門に十二人の番衆を居て、毎夜宿直蟇目をぞ射させける。
物忌已に七日に満じける夜、河内国高安の里より、頼光の母義をはして門をぞ敲せける。
物忌の最中なれ共、正しき老母の、対面の為とて渺々と来り給たれば、力なく門を開て、内へいざなひ入奉て、終夜の酒宴にぞ及びける。
頼光酔に和して此事を語り出されたるに、老母持たる盃を前に閣き、「穴をそろしや、我傍の人も此妖物に取れて、子は親に先立、婦は夫に別れたる者多く候ぞや。
さても何なる者にて候ぞ。哀其手を見ばや。」と被所望ければ、頼光、「安き程の事にて候。」とて、櫃の中より件の手を取出して老母の前にぞ閣ける。
母是を取て、暫く見る由しけるが、我右の手の臂より切られたるを差出して、「是は我手にて候ける。」と云て差合、忽に長二丈計なる牛鬼と成て、酌に立たりける綱を左の手に乍提、頼光に走蒐りける。
頼光件の太刀を抜て、牛鬼の頭をかけず切て落す。其頭中に飛揚り、太刀の鋒を五寸喰切て口に乍含、半時許跳上り/\吠忿りけるが、遂には地に落て死にけり。其形は尚破風より飛出て、遥の天に上りけり。今に至るまで渡辺党の家作に破風をせざるは此故也。其比修験清浄の横川の僧都覚蓮を請じ奉て、壇上に此太刀を立、七五三を引、七日加持し給ければ、鋒五寸折たりける剣に、天井よりくりから下懸て鋒を口にふくみければ、乍に如元生出にけり。
其後此の太刀多田満仲が手に渡て、信濃国戸蔵山にて又鬼を切たる事あり。依之其名を鬼切と云なり。此太刀は、伯耆国会見郡に大原五郎太夫安綱と云鍜冶、一心清浄の誠を至し、きたひ出したる剣也。
時の武将田村の将軍に是を奉る。此は鈴鹿の御前、田村将軍と、鈴鹿山にて剣合の剣是也。其後田村丸、伊勢大神宮へ参詣の時、大宮より夢の告を以て、御所望有て御殿に被納。其後摂津守頼光、太神宮参詣の時夢想あり。「汝に此剣を与る。是を以て子孫代々の家嫡に伝へ、天下の守たるべし。」と示給ひたる太刀也。されば源家に執せらるゝも理なり。