歴史

◆神代 上古代

日本刀は我が国特有の鍛刀法で製作した日本の刀剣類を指します。
一般に日本刀と呼ぶようになったのは明治以降のことで、それまでは太刀(たち)、打刀(うちがたな)とよばれていました。
平安時代前期までは直刀で反りが無く、湾刀(わんとう:反りがある刀)が出現したのは平安中期以降と考えられます。
それ以前のものは上古刀と呼ばれ、中国などの大陸より日本にもたらされた大陸様式の直刀です。

天目一箇神(あめのまひとつのかみ・製鉄・鍛冶の神)が刀匠の祖とされていて、神代(かみよ)の時代から刀は鉄で作成されており、銅や石での剣はありません。

大和国宇多郡に天国(あまくに:伝説上の刀工らしい)が出現し、自分の銘を打った刀を作成しました。
今の日本刀と称する反りのある鎬造の太刀様式を最初に造ったので、彼は在銘日本刀の元祖と仰がれています。

天国が作成していた時代以前の刀剣は、反りのない平造、または切刃造の直刀で銘はありません。
なので天国は太刀様式の太刀を作った刀匠といわれています。

◆平安朝時代(806年~1185年)

奈良から平安中期頃までの日本刀の形態はまだ直刀が主で、天国によって代表される湾刀の製作は僅かだったようです。
中期を過ぎるころには鎬造り(しのぎづくり)の反りのある姿形が確立されました。
その原因は鍛刀技術の進歩と戦闘の変化だとされていて、徒歩戦から馬上戦に変わり、突き刺すよりも斬ったり打ったりする事が主になりました。

刃長は2尺5、6寸(75.8~78.8cm)位で、現在居合で使用するものよりも多少長いようです。

◆鎌倉時代・中期(1222年~1287年)

武家の権力が強くなるにつれて優美な作風は失われ、質実剛健の鎌倉武士の気風にそう堅実味のある、しかも華しい刃文(丁子乱(ちょうじみだれ)が流行ったみたい)の時代と変りました。

太刀は、一層豪壮味を増し、長寸で反り深く、身幅広く、重ね厚く、平肉付き、鋒(きっさき)は猪首鋒(いくびきっさき)になった作柄が愛用され、全国に普及しました。

◆鎌倉時代・後期(1288年~1333年)

日本刀の製法に変化が見られる時代です。
今までの戦闘でわかってきた日本刀の欠点を見直す時がきたということです。
たとえばもろいとされる切先が、猪首鋒では、一度の戦いで刃にこぼれが生じます。
また平肉のついたものでは、切れ味が悪い。 これらの欠陥を克服したのが正宗です。 このころから硬軟の部分が混在し、切れ味がよくはこぼれしない矛盾を解決した日本刀が生まれました。

◆南北朝朝時代(1334年~1393年)

南北朝時代には刃長3尺を超える長大な太刀が作られ、短刀も大振なものとなってきます。
太刀は豪壮で、身幅も広く長寸であり、背負い太刀・野太刀(のだち)と呼ばれる物々しい大太刀もあります。
いずれも重さを軽減すべく重ねを薄く造り込んでいます。
また樋(ひ)が彫ってあるもの(=刀身に沿ってみぞを彫ったもの)がではじめました。
この時代は武家の盛衰とともに、格調高い作品は少なくなり、実用性の高いものが作られました。

◆室町時代(1394年~1595年)

この時代は、南北朝の争いも終わり平穏な時が続きます。
それに伴い刀は実践向きな志向は失われ、優雅なの姿に戻ります。
技術的な面では低下していると言われており、時代が経つにつれてますます低下しました。
この時代以前の作刀は太刀で、刃を下にして紐で吊り下げて腰に佩いたものですが、この時代からは刀とよび、武士は刃の方を上にして大小二本の刀を腰に差すようになりました。
美術館で飾ってあるのを見るとわかります。太刀は刃を下に、刀は刃が上にして飾ってあるはずです。
室町後期になると、応仁の乱によってまた刀剣の需要が高まり作風が変わります。
古刀はこのころがかなり多いはずです。
数打物も多いですが、銘が打ってあったりする丁寧なものならば大丈夫でしょう。
※この時代あたり(慶長(1596?~1614))までの刀を【古刀】とよび、それ以降を【新刀】と呼びます。

◆新刀時代

・安土桃山時代
刀は南北朝時代の太刀を大磨上にした体配に非常によく似ています。
身幅広く、元幅と先幅に開きが少なく、中鋒(なかきっさき)が延びるものや大鋒(おおきっさき)もあり、重ねは厚くなります。
刃長は2尺4寸、5寸(72.7cm~75.8cm)前後。
 
大磨上:(おおすりあげ)実戦上の理由から、長大な太刀の寸法を切り縮めて仕立て直したもの。

・江戸時代
刀は普通の身幅で、元幅に比べて先身幅が狭まり、反りが目立って浅く、鋒も小さいです。
刃長は2尺3寸(69.7cm)前後。居合に向いてますね。
天下泰平の時代になり、刃文にも華麗なものが現れました。

・幕末~明治~現代
文化・文政以後のものを新々刀または復古新刀と呼んでいます。
水心子正秀や南海太郎朝尊は復古刀を唱え、水心子の門には大慶直胤がいます。
源清麿も相州物・美濃志津の作風の復古を志し、その技量は高く評価されました。
身幅は広く、元幅と先幅のひらきが少なく、長寸(2尺5、6寸)で反りの浅い大鋒の造り込みとなり、重ねは厚くなります。

明治9年の廃刀令から現在までの刀剣を現代刀と呼んでいます。
廃刀令が出ると刀工は職を失いましたが、鍛刀の技術は保護されました。
明治・大正・昭和・平成と、鍛錬技法は今日まで続いています。

 

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田宮流居合道 町田居合道研究会